誰がためにホイッスルは鳴る

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埋もれた才能・・・元ブラジル代表FWアドリアーノの現在

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ブラジル代表の常連だったアドリアーノ

 

【ファヴェーラで生まれ・・・】

1982年、彼の人生で常につきまとう言葉「ファヴェーラ(スラム街)」で生まれ、育ちました。毎日何らかの犯罪が起こり、銃声を聞かない日は無いという環境の中、ボールを蹴り続けるという少年時代を過ごしていました。麻薬密売人が近所を暗躍し、組織同士の抗争が絶えないという環境で育ち、そしてこの生まれ故郷を彼は愛し続けました。

 

生粋の「カリオカ(リオっ子)」である彼は、若くしてフラメンゴの下部組織に入り、18歳でプロ契約を勝ち取ります。プロ1年目から結果を残した彼は、当然のことながらU-21ブラジル代表に選出され、2001年に開催されたワールドユースでも大活躍。その活躍が認められ、2001-02シーズンからはインテル(イタリア)でプレーする事が決まりました。しかし当時のインテルの前線には、ロナウドやヴェントーラ等がおり、彼に簡単に出番を与えられない程でした。結局セリエA初ゴールを挙げたものの、結局フィオレンティーナ(イタリア)へレンタル移籍となりました。翌2002-03シーズンには当時中田英寿らが在籍したパルマ(イタリア)に完全移籍し、在籍した1年半で23ゴールを挙げるなど、チーム不動のエースとして君臨します。その甲斐あって、再びインテルに戻る事ができたのです。

 

【人生のターニングポイント】

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父親が亡くなって以来、ゴール後に天をかざすパフォーマンスを欠かさず。

 

2005年に彼の父親が亡くなってからは、彼の心身にも影響が出始めました。父の死を乗り越えた当初は、2004年の南米選手権と2005年のコンフェデレーションズカップ優勝に大きく貢献(共にMVPと得点王)しましたが、これらの活躍で燃え尽きたとも言われかねない程のスランプに陥ります。クラブ、代表共に結果を出せなくなり、機を同じくしてお酒が絡んだトラブルなどにより、完全にチームから除外されつつありました。また不摂生による体重増加が引き金になったとは言えませんが、この時期からケガが多くなり、完全にクラブから除外されていきました。


その後精神的にも不安定になりつつあり、監督との衝突や練習のボイコットが続き、ついには鬱病と診断されたのです。その様な彼が戻る場所は、生まれ育ったファヴェーラしかありませんでした。結局プロデビューを果たしたフラメンゴに戻る事になったのです。地元に戻った彼はプレーでは復調傾向にありましたが、私生活面では相変わらずのトラブルメーカーぶりであり、折角ヨーロッパへ復帰したと思いきや、素行不良などによりチームを追われ、再びブラジルに戻るという事を繰り返したのです。

 

【無所属の彼に、復帰の道はあるのか・・・】

 

ブラジル国内でも契約解除や再契約を繰り返し、第一線に戻る事が無かった彼も、この2016年で34歳を迎えました。現在ではファヴェーラのひとつに住んでおり、サッカーとは全く無縁の生活を送っているようです。ただ、彼の場合は資産が潤沢にあるらしく、新居を建てる等、日々の生活に困るという事は無いようですが、現役時代の彼からは想像も付かない程に増量しているとの事で、サッカー選手としての復帰は、もう無いと言えるでしょう。

 

アドリアーノという、ひとりの大人の人生は、ファヴェーラに始まり、ファヴェーラで終わりを迎える可能性が高いと言えます。